ここのところ珍しく更新が滞っているのは、別に飽きたからではない。
ただ、どういった理由にせよ、それなりに忙しかっただけである。
昨日、久しぶりに兄が帰省した。
もう家を出て6年にもなるし、盆も正月もないような人だし、
いつかまた戻ってくるなんてこともないだろうし、
家を出る前に使っていた彼の部屋は、もう彼の部屋ではない。
帰省しても、どうせ友人宅にお邪魔したり、研究室の仕事のついでだったりで、
部屋がなくて困ることなんて、ほとんどなかった。
が、しかし、普段なら兄が友人宅に遊びに行くはずが、
なぜか昨日は友人たちが我が家にやってきてしまった。
幼い頃からの友人だから、父母も私も彼らをよく知っている訳で、
何の不思議もなく、一緒に亀田興毅の試合なんかを観ていた。
試合が終わって、兄の部屋があるわけでもないし、友人宅に流れるか、
そうでなければ帰るかになると思っていた。
間違いだった。
観戦後、シャワーを浴びて部屋に戻ったら、なぜか兄と友人たちが居座っていた。
言うまでもなく、部屋、とは私の部屋である。
お世辞にもきれいとは言えない、私の部屋である。
仮にも婦女子の部屋に、この人たちは遠慮というものがないのだろうか。
兄も兄で、せめてクローゼットくらい閉めてはくれないものだろうか。
そう思ったところで、既に遅く、何も気にしていない彼らを前にして、
自分で気の毒になるほどに、この兄の妹以外の何者でもない私が言えたのは、
「お酒、足りないなら買って来ようか」
という慈愛に満ちた一言だけだった。
結局、朝から仕事のくせに、明け方まで飲んで、寝て、
起こしてやれば文句を言って、それでもあたふたと彼らは出て行った。
よく、中学生くらいの女の子が、
「男子って、本当、子どもなんだから」などとこまっしゃくれた口を叩くが、
彼女たちが見ているのは、彼らの幼さの、ほんの一部に過ぎないんだろうと思う。
幼さなんて、いつどこで何を基準に測るか知らないけれど、
一人暮らしをしたら野垂れ死ぬであろう私の幼さと、
自宅暮らしをしたら手に負えないであろう兄の幼さは、
一般的に見たら、彼のそれの方がひどいのだと、そう信じたい。
『ランド・オブ・プレンティ』 ヴィム・ヴェンダース
最初の1時間くらい、眠くて、さっさと進まないかな、とか思っていたのだが、
その後は、いや、わかるけれど、展開早いんじゃないか、とか思って観ていた。
面白かったのだけれど、割と。
主演の女の子がとてもよいと思った。
何というか、こざっぱりしてて、きれいだと思った。
9.11が、どれだけの人に衝撃を与えたのかは知らないが、
実のところ私はあまり、そのときのことを覚えていない。
学校かどこかから帰宅すると、母がおかしな顔をしながらテレビを観ていたが、
どうしたのかと聞いても、要領を得ない回答しか得られない。
一緒にニュースを観てみるものの、何をやっているのかよくわからない。
しばらくして、どうもペンタゴンやらUA機などでも事件があったと入って、
「テロ」らしいということが報道されたけれど、だから何なのか、よくわからなかった。
死傷者に対する悲しみだとか、攻撃に対する怒りだとか、
多分そういうことよりも、不思議さと、不可解さが大きかったのだと思う。
事件直後はともかく、その後の動向を追うに従って、
そういう不思議さ、不可解さは更に増したし、不快さも募った。
被害者の家族のインタビューや、近日公開される映画の予告編を見ると、
心動かされてしまうくらいの単純な私なのだが、
ことが大き過ぎると、どうにも切なる感情を抱き難くて、
遠く離れた、直接に関係のない大多数の人々、というか一個人を超えた集団に、
好悪問わず、強い感情を抱けることが不思議だと、今でも思う。
恐怖は感じるかもしれないけれど。
不思議、というのは決して悪い意味ではなく、素直にそう思う。
そういう温度差が、視点の違いが、恐いということなのだけれど。
そういえば先日観た『アワーミュージック』でもそんなことを言っていたな、とか。
いやいや、私は平和主義者です。
戦争の苦しみより平和の痛みを、というほどの感情を、
というかそれ以前に、そこまでの敵を持たないだけだ。
執着を求める宗教と、執着を捨てる宗教とがあるけれど、
後者が見直されてもいいと思った。
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