2009年4月 6日 (月)

ぐっすり眠りたい

どうも、生麦事件を説明していたつもりが、大津事件を語ってしまった私です。
途中で気付いたものの、説明し直したところで相手がそれを聞くわけでもなく、
また記憶するでもないことはわかっていたので、そのままにしてしまった私です。

今日、思ったこと。

大事に思う人に怒りを抱くことは、難しい。

とても大事な誰かが何か私の気に障ること、私に不利益をもたらすことをしたとしよう。
さて、それに対して私は怒りを抱けるだろうか。

いや、そりゃもちろん、ことによっては簡単に怒るわけだが、
私はどうも、そうそう怒らないようで。
怒りを感じず何を思うかと問われれば、悲しみと戸惑い。

大事であればあるほど、相手が何か不都合を犯そうと、
その背後にある不都合な状況や、
彼自身の不都合をもたらさざるを得なかった感情なり思考なりを、考えてしまう。

そうなると、悪いのは彼の人ではないように思えてきて、
とは言え、私は不都合を被ったわけで、結局、悲しみと困惑でいっぱいになる。

だからこそ、大事な人、だいすきな人を叱ることは難しい。
だからこそ、怒れる人はとても、立派。

人の親になる人は、こういう面で本当にすごいと思う。

どうでもいい人に怒るのは、容易なものだけれど、ね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月12日 (月)

夜の底が白くなった

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

新潟は越後湯沢に行ってきた。
案外、近い。

月曜、仕事が始まった早々飲みに行き、ボードの誘いがかかる。
即、拒否。
ウィンタースポーツはやりたくない。
しかし高速代・宿泊代の分母を増やしたい相手は、
それなら温泉もある野沢にするから、と。
即、承諾。

職場の人々にはこれまでも何度か遊びに連れて行ってもらっているが、
往々にしてこのように、軽く、安易に話が進む。

出発前日金曜日。

宿はまだ決めていない。
まぁどうせ車で行くのだから、立地を考慮する必要はないし、
当日考えるので充分と言えば充分ではあるのだが。
そもそもの提案者は飲みに行き、私は外出直帰。
深夜、酔っ払いたちから数度にわたって電話が入るが、
どうにかなるなる、と会話を終えて、何も決まらず当日を迎えることとなる。

私も私で、思いつきで予定も立てずにふらりと出かける質なので、特に文句はない。
ないがしかし、一般的に、女性がいたらこうはならないはずではないかとふと思う。
せめて宿泊先だけでも気遣って、
誘った側の男性も、そして女性自身も動くものではないかとふと思う。
特に文句はないがしかし、自分に対して何か諦めに似た感情を抱く。

出発当日土曜日。

昼前には出たいと言うから、平日同様8時出社のつもりで5時起床。
寒い。
風が強い。
ぺたんこパンプスのつもりだったが、流石に寒くてブーツを履く。
いやはや、このときブーツを選んで本当によかったと思い知るのはもう少し後のこと。
と足元は固めたが、他は普段と変わらぬ軽装で家を出る。

しばらく仕事をするが、予定より捗らず、ノルマを終えられない。
翌日曜、戻ってきてから仕事をするか、翌々月曜、出社すればいいだろうと、
無理矢理車に詰め込まれ、運転席に座らされ、いざ野沢。
の前に、同行者の荷物を取りにまず埼玉へ。
彼が最初から荷物を持ってくれば、私の休日出勤回数は減ったんじゃなかろうか。

強風に煽られながら、久々に地元以外を運転。
おかげでご機嫌な一方、宿がいっこうに取れない。
とりあえず、と会社でメモしてきた観光協会、民宿組合等に電話をするが、
ことごとく出ない。
やる気あんのか、とは怒りの声ではなく、私の爆笑の声であったが、
3連休のくせに、電話にも出ないとはまぁ、ひどい話である。

というわけで、急遽行き先変更。
ここでやっと越後湯沢、中里に行く運びとなったのであった。
湯沢の観光協会のおばちゃんは中々仕事のできるおばちゃんで、
電話のやりとりの中でさくさくと宿をとってくれたのであった。

さて、赤城山などを見つつのドライブであったが、雪がちらつき始める。
ひとり大興奮して騒ぐ私。
流石に雪道は運転できないので、SAで運転手交代。
これをチャンスとばかりに、うっすら雪の積もったSAで走り回る。
足跡をつけてはしゃぎ回るって、どれだけこどもなのか、私。

トンネルに入る前から既に雪、雪、とはしゃいだ私だったが、
件の、国境のトンネル、を抜けたら、本当にそこは一面の銀世界であった。

いや、まぁ、『雪国』の冒頭はすてきな銀世界なんて描いていないけれども、まぁ。

ウィンタースポーツを一切やらない寒がりの私は、
見渡す限りの雪、をまともに見たことがない。
白い、針葉樹、三角屋根、民話みたい、とやたら騒ぐ。
騒ぐ私にいちいちはいはいそうだねと言ってくれる車中に感謝である。

夕方には無事湯沢に到着。
観光協会で話好きのおばちゃんにあれやこれやと語られた後、
紹介された民宿でひとやすみ。
おこたに入ってほっこり。
喫煙者しかいないものだから、部屋中がもくもく。
高校生男子の部屋のよう。
あぁ、○○くんちのにおいがする、などと笑って、窓を開ける。

雪のある寒さは、当然寒いけれどもでもやっぱり、あたたかい。
零度以下なんて、東京だったら泣いちゃうけれど、
さらさらのパウダースノーの降る中での氷点下は、しんとして気持ちいい。

お酒でも買いに行きますか、と、お散歩も兼ねて外に出る。
放水される車道だとか、ワイパーをあげた車だとか、玄関先のスコップだとか、
雪国ならではの風景にいちいち目を奪われる。
降り積もった雪原を、ブーツ幸いと膝まで埋もれながらきゃぁきゃぁ歩き回る。
あぁ、ぺたんこパンプスなんかで来なくて本当によかった。

お酒とおつまみを買い込んで、宿に戻って食事前から早々乾杯。
ボード組に、滑りに行っては、と勧めるが、億劫になったらしく、
ナイターか明日の午前中でいいや、という何ともやる気のない返事。
雪景色を肴に、だらだらとお酒を飲んでくつろぐ。
おこたというものは、人を怠け者にするなぁと実感する。

お夕食はコシヒカリをたらふくいただく。
私は普段、白米を食べない生活をしており、
まして宿泊先でいただくときは、おかずを全て堪能したいがために、
お腹を満たしてしまう白米を最初からよそわないのであるが、
しかしここは新潟、南魚沼。
コシヒカリを食べずして何を食べよう。

食事後、一同が腹の膨れ具合に更に怠惰になったのは言うまでもない。
それにしてもおいしかったなぁ。

お風呂に行ったりお酒を飲んだりと、結局その後もだらだら過ごすが、
さて、ナイター。
わざわざ雪深いスキーのメッカにやってきて、当初の目的を捨ててよいものか。
まぁ私はわざわざやってきておいて、はなから滑るつもりはないわけであるが。

ということで、重い腰をあげてゲレンデへ。

粉雪の吹雪く中、いつもの黒いコートの下に、
短いフレアのスカートをひらひらさせて、ロビーに下りると、
宿のおばちゃんから驚かれる。
おねえさん、そんな軽装でスキー場行くの、と。
言われて、流石にまずいか、と思ったのは私だけではなかったようで、
重装備の同行者にダウンをお借りすることに。

男物のダウンを羽織って、フードをかぶり、ストールで口元まで覆って、
しかし大きなダウンにスカートは隠れたというこの姿は、
どう見ても不審者であったが、風邪を引くよりはよかろうと、そのまま出かける。

雪をまともにかぶりつつ、宿から目と鼻の先のゲレンデへ。
着いたら着いたで、またしても見渡す限りの雪に大興奮。
何やら準備をしたりリフト券を買ったりの人々をよそに、
さくさくと、いや、ずぼずぼと、雪の中を歩き回る私。

相変わらず滑りたいとは思わないが、そり遊びくらいしたかったかな、と思いつつ、
歩き回ったり、休憩所でコーヒーを飲んだりで、
滑ってもいないくせに、何だかんだゲレンデを満喫した私であった。

宿に戻って窓の外を見遣れば、軒先につららができていた。
見慣れないものにまたしても感動を覚える。
窓の外に身を乗り出し、あぁもう少しで手が届く、というところで、
同行者に見つかって慌てて止められる、悔しい。
頼むからいい加減大人しくしてくれ、と言われる。

またもだらだらとお酒を飲みながらおこたで過ごし、
年明けの慌しさに疲れた体を早々に横たえ、就寝。

翌朝、起きたら車が埋もれていた。

笑いながら雪下ろし。
毎朝これじゃ、通勤する気なくなるだろうなぁ、とか言いながら雪下ろし。
しかし毎朝じゃなければ、楽しい。

車の雪を払って、エンジンをあたためる間、
目の前に広がる雪原を走り回りたくてうずうずしてくる。
というか、うずうずした次の瞬間には、道路を渡ってそこにいたわけだが。
雪が随分と積もっているので、そもそもが一体どういう地形なのかわからないが、
雪は均等に降るのであって、一見して特にくぼんだところもないし、
何も考えずにさくさくずぼずぼと進んでいった。

甘かった。
ひゃぁ、という叫び声がついついあがる。

疑いもなく踏み出した途端、まんまと腰上まで埋まったのであった。

私の間の抜けた叫びに、車の前で煙草を吸っていた人々の目がこちらを向くが、
何せ私は半身、それも片足踏み込んだところでいきなり落ちたので、
ななめになって埋まっている。
状況がつかめなかったようで、一同、唖然とした顔をするが、
その後、呆れと笑いの混ざった表情に変わる。

呆れと笑いで誰も助けてくれないので、自力で脱出したが、
こんな目に遭いながらも、
というか、こんな目、そのものをものすごく楽しんでいた私であった。
我ながら、懲りない。

帰る頃には、スエードのブーツは見事に雪染みだらけになっており、
そういえば昨冬のパーティーのときも、八王子に向かう中で雪に降られて、
こんな染みを作ったっけかな、なんて思い出す。
しかしこのブーツと荷物で都内に戻り、
というか私はその晩、横浜で約束があり、
更には時間もあったので、横浜で買い物でもしようと思っていたのだが、
それを考えると、おのぼりさんにも程があるというか、とにかく恥ずかしかった。
まぁ、結局、そのまま買い物もして、飲みにも行ったわけだけれども。

こうして雪を惜しみつつ、思いつき旅行を終えた。
やっぱり旅行は、いいなぁ。
些細なことが、何でか楽しい。
今回行かれなかった野沢のリベンジもしたいし、
休みが取れないなら取れないなりに、近場の突発的旅行を楽しみたい。

それにしても、こんな旅行に付き合ってくれる車持ちがいることは、
何ともありがたいことである。
特に今回は、雪国育ちのA型のおかげで、
いちばん下っ端のくせに何も働かなかった私であった。
まぁいいや。

それにしても、雪、きれいだったな。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年9月23日 (火)

ジョイフル

九州に行って参りました。

私は全体的にオーバードライブで楽しかったのですけれども、
次回はもっと一体感が出せるように頑張ります。
なんて、そんなことを言ったのはまさか私ではなく、ユズヒコ似の某氏でありました。

自覚しているなら最初からそうしてください。

しかし、初日の宿での5人の写真をなげちゃんから見せてもらったら、
各々別のところを見ていて、別のことをしているようだったけれど、
何となく一体感なるものを出していて、仲がよさそうに見えた。

旅行関連の思い出を時系列で。

私の誕生日のヨシヲメールとカラオケ。

餃子になった海、飲み屋から聞こえてきた怪しげな歌声。

味噌ビール。

ドタキャンとドタ参。

coldtopic家に忘れた携帯、ぎりぎり間に合った私と案の定遅れるhori。
プリッツとマーブルのなげの、駅弁の私。
やたら寒い車内にバスタオルをかぶる。
九州初上陸、暑い、沖縄かハワイに降り立ったかのように。
ヨシヲくん、chaos氏との再会、なげの帰れ命令。
予想以上の繁華街、焼きうどんに海鮮丼、餃子、JPS氏念願のたこ焼き。
スタバご当地タンブラゲット、しかしどこがどう福岡なのか。
JPS氏の軽やかな運転、私の文句、そして交代ごめんなさい。
町田町蔵大合唱、つるつるの壷、恐怖のハーモニーランド。
茶漉しがないと騒ぐ年長者2人。
ものすごくおいしいごはん、豊後アジ、仲居さんには嫌われた。
重なりあった6人分のおふとん、結局朝まであの状態。
貸切風呂、お風呂上りのchaos氏とのサシ飲み。
閻魔とむぎっ娘、珍しく芋はいただかず。
某氏就寝後の平和、いつもの面々からの電話、某氏起床後の不和。

白米をやたら食べさせたがる前夜の仲居さん。
みりん干しを焦がすchaos氏。
地獄巡りを断念させる大雨、やっぱりJPS氏と私のせいかしら。
うみたまご、あまりの眠さにひとり離脱。
なげのの家族と仲間たち、ペンギン、ペンギン、ペンギンの換羽。
大砲ラーメン、そしてまた餃子。
雨上がりの地獄巡り、やる気のない地獄たち、プリンはよろし。
JPS氏の興奮を呼ぶ秘宝館、カメラ小僧なげの。
JPS氏、なげの少年、私の3人で見るロマンポルノ。
ヨシヲくんとのしばしの別れ、chaos氏との今生の別れ、嘘。
運転を交代してくれた男前内柴正人。
JOYFUL、ジョイフル、何と言ってもJOYFUL、価格破壊JOYFUL。
ハンバーグ2枚にカレーにパフェってそりゃ気持ち悪くもなるよhori。
299円でてんこ盛りのかき氷、199円の梅酒に黒霧島、99円のつるつるうどん。
苦しんだ後の熊本、きれいな宿、袴のおねえさん。
某女史のデリカシーのなさを詰ったはずの某氏のデリカシーのなさ。
結果、4人でペイチャンネル、大丈夫です、目悪いんで。
風俗業界に生きる女性についてhoriと考え就寝、つけっぱなしのペイチャンネル。

熊本城をぐるっと回る、石垣を絶賛、熊本を絶賛。
キャベツ&コンドーム、おしゃれ泥棒、必殺仕事人。
うなぎとサーモンと馬刺しとウニ、hori曰くcoldtopic似の青年。
小倉への長距離ドライブ。
みんな寝ちゃうとつらいよね、と言いつつ眠りに落ちた最後の砦の私。
それでも無事小倉まで連れてってくれたhori。
レンタカー屋の前で出迎えてくれた、1日ぶりのヨシヲくん。
お年玉、本物のお年玉。
明太子代は流石に受け取れません。
お土産お菓子物色、めんべいかわいい、そして大容量で経済的。
新幹線改札前でヨシヲくんとお別れ。
帰るときは、いつだって淋しい、気軽に会える友人とでも淋しいのに。
気を取り直して駅弁購入、大名駕籠。
座席をぐるりんぱ、駅弁食べて、明太子食べて、黒霧島飲んで。
そんなことしてたら、品川だった。

あっという間だったな、楽しかったな。
やっぱり人と遊ぶのは楽しいし、旅行するのもドライブも楽しい。
九州、とひとくくりにしてしまうのも申し訳ないけれども、
今回見てきたところはどこも素敵なまちだったし、
今回見られなかったところもまだまだたくさんたくさん控えていて、
これはもう、またヨシヲ旅行しないとな、と思った。

でも近々行くつもりなのは、仙台。

とにかくよい週末を過ごせました。
みなさまどうもありがとう、wakくんも素敵な宿をありがとう。

毎度面子は入れ替わりますけれど、それでもみんななかよく楽しく遊びましょ。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007年9月 7日 (金)

距離

台風の中、熱海に行って参りました。

専攻の友人たちとの旅行であった。
3年間、同じ専攻で、何とか生き抜いてきた友人たちだが、
彼らと旅行をする日がくるなんて、思っても見なかった。
思っても見なかったが、思った以上に楽しかった。

私が雨女だからではないだろうが、台風のおかげで、
2日目は一歩もホテルを出ずに過ごした。
幹事のF氏は、やたら落ち込んでいたが、
私は荒れ狂う海を見るのが本当に楽しかった。
あんなにすごい海は、滅多に見られない。
何もしなかったけれど、何もしなかった分、よく話せたし、よかったと思う。

ゼミの同期とは、先日も鴨川に出かけたし、
それでなくてもたまにお茶に行ったり、飲みに行ったりの蓄積で、
べったりではないにせよ、それなりに結構話す機会はあるけれど、
他の友人たちとは、専攻が同じとは言え、
そこまで話すこともなかったから、よい機会であった。

こっそり面白いと微笑ましく思っていたのは、
何かを聞くのに、わざわざ罰ゲームの形をとって聞くことであった。

例えばゼミやサークルの同期と旅行先や宴席で話し込んでも、
聞きたいことがあれば、多少聞きづらいことであっても、
お酒に頼るくらいで、素直に聞くのだけれど、
そこに勝負事を介在させて、敗者に質問を浴びせる、という形をとるなんて、
一体いつぶりだろう、と、微笑ましく思った。
その距離感が、新鮮だった。
その距離感があるからこそ、話せることというのも、ある。

そして久々のUNOもトランプも黒ひげも、ものすごく面白かった。

しかしそんな中でも、1杯と空けずに真っ赤になって寝ていたF氏が、
半ば寝言のように、「僕は話したい」としきりに言っていたのには、笑った。
とにかくF氏には、3日間よく笑わせてもらった。
「味のある声」って、どんな声だろうなぁ。

それにしても、F氏はともかくとして、案外みんな飲まない。
先日、内房に行った際、N坂氏が「このサークルの人たちの飲み方はおかしい」
と言っていたが、確かに今回の旅行で、某サークルの酒量の異常さを実感した。

まぁそんな夜々を越えて、3日目には台風も過ぎ、
きれいに晴れた中で旅行らしく行動を起こすことになった。
計画を立てて旅行することがあまりない私にとっては、
きちんとリサーチしてくれていたみなさんはありがたく、これまた新鮮であった。

というわけで、マリンスパなるところではしゃぎまくった。
色んな強さ、角度でぼこぼこ言っている温泉で、ぎゃぁぎゃぁ騒いだ。
前日、1日中ごろごろしていたこともあって、腰が痛かった私は、
ジャグジーを腰にあて続け、挙句、腰周りを真っ赤にしていた。
…ちょっと恥ずかしかった。
しかしあの噴射の強さには、本気で水着がずり落ちるかと思った。

さて、マリンスパを満喫した後は、行って来ました秘宝館。
全国各地の温泉街となぜかセットになった秘宝館。
6月の鬼怒川で、行こう行こうと言いながらも行かなかった秘宝館。

もっと生々しいのかとも思ったが、案外そうでもなくて、
あまりに馬鹿馬鹿しさ、ベタさ、下らなさに、笑わせてもらった。
とにかく下らない、そしてしつこい。
空々しい喘ぎ声が響きわたる中、やや呆れながら歩いたのだっだ。
しかし男性陣4人が、横並びで覗き見をしている図を後ろから見たときは、
何と微笑ましく思ったことか。

そして、展示を見ながら私が思い出していたのは、
なにわ小吉の『王様はロパ』にあった、エロエロドームの話であった。

とにかくそんなこんなで、3日目は動き回り、有意義な1日であった。
帰りはひとり、小田原で途中下車して小田急で帰ってきたが、
2時間とかからずに帰宅することができた。
…大学よりよほど近い。

かまぼこも買ってこられたし、とにかく満足の旅行であった。
幹事のF氏をはじめ、みなさんどうもありがとう。
さて、明日は昼まで寝ていよう。

| | コメント (3) | トラックバック (2)

2007年6月 7日 (木)

きせつのもの

傷にせよ、虫さされにせよ、あざにせよ、痕が消えない。

5月のはじめだっただろうか、人のお宅に泊まらせていただいたのだが、
その際にできた、大量の虫さされの痕が、いつまで経っても消えない。

先週か先々週、雨の日に転んで、両脛に大きなあざを作ったが、
これもやはり、痕どころか、痛みも消えない。

そういう年になってしまったのだ。
今年も蚊の季節がやってきたが、どうにか引っ掻かないよう自制したい。
蚊の羽音が気になって、夜も眠れやしない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年8月27日 (日)

不安という快さ

群馬の川原湯温泉というところに行ってきた。

伊香保と草津の間あたりにある、穴場というやつです。
…穴場、とかいうところは、
要するに人気がなく、さびれたところを指すのだと勝手に思っています。
類義語として、隠れた名店、密かなブームなど。
まぁ、本義は別として、少なくとも、私が行ってきたところは、鄙びた温泉街だった。

吾妻渓谷というところがあって、これがかなりすごい渓谷だもんで、
景勝地そのものは残すものの、ここにダム建設計画が持ち上がったため、
温泉街も移転えざるを得ないらしく、というか数年後にはダムの底に沈むらしく、
まぁいつ移転するのか見通しも立たないもので、
空き店舗は多いし、営業中のところも、改装もしようにもできないのか、
かなりさびれていたけれど、それでもとても親切にしてもらって、文句はない。
旅館の食事と露天には大満足だし。

一応温泉「街」なので、共同浴場なんかもあって、湯めぐりもできたのだけれど、
他に観光するところと言えば、前述の吾妻渓谷だとか周辺の山くらいのもので、
雨女のおかげか、やや肌寒いという、散歩には絶好の日和だったので、
ちょっくら2、3時間くらい歩くか、と思って、渓谷周りの遊歩道を歩くことにした。

「遊歩道」といっても、小学生の秋の遠足、すなわちハイキング以上登山未満、
くらいの道であって、まさか舗装なんてされておらず、
下が崖だと言うのに、手すりのない部分がほとんどである。

連れには、こういった道が似合わないと笑われた私だったが、
ちゃんとジーンズだったし、下駄とは言え、履き慣れた歩きやすい足元だったが、
途中見かける、恋人同士と思しき男女のうちの女性など、
白いひらひらしたスカートに、華奢なミュール、なんて人もいて、
きっと、「遊歩道」なんて名前に騙されて、軽い気持ちで行くことにしたら、
存外ものすごい山道で、かといって女性も格好を理由に文句を言い難く、
そして男性の方も戻ろうとの提案がし難く、そのまま頑張ってしまっているのだろう、
とか邪推してみたりした。

まぁそんなこんなでそれなりに頑張ったりして歩き続けるうちに、
ふと気付いた頃には、どんどん道が狭くなっていった。
手すりなどとうの昔に消え失せ、足を踏み外せば確実に落ちる、という感じの道で、
いや、道、というのもおこがましい、ただ植物が禿げただけのような、
もはや周囲の、か弱そうに伸びた蔦やら枝やらに手を預けなければ不安、
といった感じの、獣道のようなところに迷い込んでいた。
思えば、数分前から人影を見ない。

前を行く連れが急に立ち止まるので、前方を覗くと、
折れ曲がっているだけなのか何なのか、どう目をこらしても、道が見えない。
…遭難したのだろうか。
先を歩いていた連れは、この獣道を「遊歩道」だと言い張るが、
こんな道を、あの女性が、あの白いふわふわしたスカートを汚しもせずに、
あの華奢なヒールで歩ききったなんて馬鹿なことがあるはずもない。
そもそも、曲がりなりにも「遊歩道」のはずの道を、どうしたら外れるのか、
自分たちのおかしさに呆れ、軽く口論になるが、笑いもとまらない。

とは言え、少し先を行ったところの左手に降りているゆるい崖の下には、
恐らくゴールであろう、きれいに舗装された橋が微かに見え、
最悪、そこを滑り落ちれば、多少怪我はしても、命と帰還は確保できる。
そう思って、戻ろうと言う連れを押し切って、なぜかそのまま進む私たち。
道を間違えたのが自分である以上、連れも、戻るという選択肢を押せないのである。

進めば、見えなかった道も、辛うじて見えて、というか道と思い込むことができ、
横壁や地面に半ばかじりつきながら、何とか進む。
ここに来て、少しばかり、下駄で来たことを悔やみ始める。
というのも、靴底がしならないため、思い通りに足をかけられない。
いっそ脱ぐか、とも思ったが、だから下駄なんて、と馬鹿にされるのが嫌で、
意地を通し、なぜかその苦境を楽しみ始める。

ゆるい崖を滑り落ちずとも、何とか道と思い込める禿げ地が続き、
横たわっている、またぐには太すぎるような丸太にしがみついたりするうちに、
ちゃんと手すりのある、人間が歩くに適した広さの道が見えてきた。
そう、これが「遊歩道」である。
喜んだのも束の間、やっぱり道を間違えていたんじゃないかと連れをからかえば、
殿を務める人間が隊長に漫然と従ってどうする、などと責めらる。
そんな転嫁をされたところで、殿を請け負った記憶など、どこにもない。
結局、お互い責めるのも責められるのも面倒で、
橋から見渡せる景色の素晴らしさを称えて締めたのだった。

と、結構な生命の危機を感じましたが、とにかく楽しかったです。
3日間、とにかく食べて食べてで、いまだに胃が重く、気分が優れませんが、
休暇らしい休暇だったと思います。
本当に何もないところだったけれど、ダムの底に沈む前にまた行けたらいいな、
なんて思わなくもなかったです、一応。

…それにしても温泉の思い出が薄いな。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006年3月31日 (金)

しばらくは耐えてくれ

ゼミ合宿に行ってきた。

手っ取り早く頭括すると、とても楽しかった。
上級生も先生もみな気さくな方々だった。
私はこの中でも生きて行ける、と思って本気で安心した。
しかし4月からの生活への恐怖も高まり、そういった意味では生が危ぶまれる。
いや、本当に怖いんだって。

日本近世史のゼミだから、土地の史料館や博物館を巡ったのだが、
これがもう、たまらなく面白い。
個人で行っても勿論いいが、こうして団体で行って、
学芸員の説明を聞きながら回れるというのは素晴らしい。
一応、課題発表などもあったが、特に突っ込まれるでもなく、
楽しい楽しい、ごく普通の観光旅行だった。
しかし、私は鉱山について調べたのだが、その発表を終えた時に、
鉱山の案内の方にレジュメを差し上げざるを得なくなり、
それだけは今も、何というか、彼とあの金山に対して、後ろめたさを感じている。

とにかく、近世の伊豆について少しは知識が蓄えられたはずだ。
江川太郎左衛門はすごい。
どこかへ旅行する度に、こうして勉強すれば、旅行も楽しめるのだが、
中々実行できないものである。

飲み会も、雰囲気が堅すぎて飲めない、
あるいは飲み色が強すぎてコールなどが凄まじい、
などだったらどうしようかと心配していたが、杞憂だった。
某映画サークルの飲み方を少しソフトにした感じというか、
とにかく恐ろしいことは何もなく、幸せだった。
M2のo氏による納豆踊りは、恐らく忘れようにも忘れられない。
呼吸ができなくなるほどに笑い続けてしまったが、
そこまで笑っていたのは私だけだった、悲しい。

色んな方とお話できたし、名前も覚えられたし、お風呂も気持ちよかったし、
タオルも浴衣もあったし、ご飯もお酒も美味しかったし、大満足の2日間だった。

あぁ、早く茂原行きたい。

さてさて、時間割を考えるか。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006年3月 6日 (月)

計画なんて大まかで

今のうちに書いておかないと、大儀になってしまうから、今のうちに。
というわけで、旅行のこと。

現地に着いたのが深夜だったから、とにかく泊まるところをどうにかしようと、
しかし着いた早々怖い思いも嫌だな、と思って、お値段ははるだろうけれど、
ここは素直に、空港でホテルを紹介してもらうことにした。
部屋に入ったそのときは、広いしきれいだし、と満足していたのだが、
いやはや、あんな恐怖に襲われるとは思わなんだ…。
Riiの好きそうなネタと言ったら、わかる人にはわかるかも知れないけれど、
本当に恐ろしかった…高いくせに、と言っても仕様がない…。

いやいや、そんなホテルでの恐怖はどうでもよいことだ。
バンコクは、街としては結局あまり好きではないけれど、寺院は圧巻だった。
もはや、ここはどこの国だってくらい、色んな要素が入り混じっていて、
色遣いとか信じられない、豪華絢爛、でも下品でない。
バンコクは大都市だけれど、信仰というのも活きていて、それって面白い。

やはり都会は苦手なので、早々に移動した先がアユタヤだったのだけれど、
ここはもう、最高ですベストプレイスです心のふるさとです書き尽くせない当然だ。
割と小さな街で、ふらふらしているとその辺に当たり前のように、
遺跡がちょこんとあって、象さんもいて、散歩に最適な街。
ゲストハウスの集まっているあたりも雰囲気がよくて、
多分、最も人と会話をしたのは、ここでだと思う。
いいところだったな。

その後は、北は山登りに興味は沸かず、南は津波被害痕を恐れ、
勿論もともとこちらに行きたかったのだが、東へと歩を進めた。
列車で移動していたのだが、ある時、隣に座ったタイ人が、
英語の堪能なアスリートだったのだが、彼女が、私の目的地を知って、
え、何でそんなとこ行くの、というか、何でそんなとこ知ってるの、
と眉を顰めたくらいに田舎へと足を伸ばしていたのだった。
田舎は英語が通じなくて、だってあなた、smallがわからない観光案内所って、
というくらいでしたが、そもそも私が英語なんてできないから、大して困らなかった。
悲しい限りの幸せ。

そんな田舎に行ったのは、ある遺跡が目当てで、
タイ側から行けるもののカンボジア領で、地雷注意の看板も目にしたが、
なぜか私は、熊に注意、というのを思い出して、一向に危機感を感じなかった。
それで、遺跡だが、これはもう、遺跡自身もそうだけれど、
景色が素晴らしかった、泣くかと思った、泣かなかったけれど、そう思った。
国境というものは、どうしても日本人には意識し難い概念だけれど、
違う国が、言語だとか文化だとかが違う国が、
一線でもって接し、画しているというのは、不思議なことだな。

田舎を満喫した後は、ふらふらとまたアユタヤに寄ったりしながら、
都会へと戻っていったのだが、このバンコクへの上京にこそ、
今回の旅行の最大の危機があったのである。
バスというか、バスという名のワゴンでバンコクに向かったのだが、
この運転手がまた、英語を話せず、しかしバンコクバンコクと言うものだから、
愚かな私は、駅かどこかに向かっているのだと思った、信じて疑わなかった。

バスを降りて、運転手がにこやかに手を振って去っていくのを見送った私は、
はて、ここはどこだろうか、とやっとその考えに至る。
数週間前に見た駅舎はどこにも見当たらない。
とりあえず何かランドマークになりそうなものを探すが、
目に入った像にはタイ語標記しかない。
そこで、通りすがりのちょっと身なりのよいタイ人に話しかけるが、英語が通じない。
田舎から上ってきたばかりの私は、彼を全ての都会人と思った。
即ち、都会人もまた、英語がわからない、と思い込んだのだった。

そうは言っても、目的地さえ伝えれば、タクシーでも何でも交通機関はある。
しかし徹底的に交通費を節約していた私にとっては、それは最後の手であった。
で、どうしたのかって、ただ闇雲に、歩き回った。
あてがあった訳でもないが、何とかなるかな、と、
常日頃、方向音痴のために迷っている私は、勝手にそう思った。
そう思った割に、どうしようどうしようと実は落ち着いていないのが私である。

と、ふと頭上にかかる何かに気付いた。
高架道路にしては細いそれは、そう、線路だった。
列車って、素晴らしい、特に慣れ親しんだ日本人には。
もうここがどこであろうと、乗れば目的地には着くのだ。
列車に慣れ親しんだ日本人は、切符を買うのだって改札を通るのだって、
もはや醜態を晒すこともなく、無事、目的地付近へと降り立ったのだった。

この後も、宿を見つけるまでには労を要したわけだが、
まぁそんな訳で、これが最大の危機だったと思う。
しかし読み返してみて、我ながら何がそんなに危機だったのかよくわからないが、
最も混乱し、また焦ったのは確かである。
まぁ、この程度が最大の危機などというくらい平和な旅だったのか、
と思われるのならば、それはそれでよいのかも知れないと思った、たった今。

毎日毎日、おいしいごはんが食べられて、幸せだった。
いつでもどこでも誰かしら何かしら食べていて、それはつまり、
いつでもどこでも何かしら食べられるということでもあって、
とにかくそんな愛すべき食の国だった。
我が家の前にも屋台でも出してくれればいいのに。

| | コメント (3) | トラックバック (1)