さよなら諭吉さんたち
GWは、福島と青森に行ってきました。
鶴ヶ城とさざえ堂と恐山と八甲田と奥入瀬渓流と十和田湖に行ってきました。
あ、あと埼玉にも行きました、池袋にも行きました。
他、色々なところを通りました。
色々と回れて楽しかったのですが、
普段の私からは考えられない食生活を強いられた、
とはまさか言いませんが、とにかく日常とかけ離れた食事の日々だったので、
毎日毎日こっそり気分が悪く、いまだに胃もたれが消えません。
いえ、こっそりと言っても連れはよくよく見抜いていたので、
無理をしないよう言ってくれたのですが、
どうも勧められると断れないのは、我が実家の悪い癖なのでしょう。
またどれも美味しいから困ったものです。
さて、青森にて感じたこと。
青森は、東北は、広い。
行きたいところはいくつもあって、
まぁ全部は無理にせよ、一つの県の内なのだから、
どうにか回れるんじゃなかろうかと思っていたが、甘かった。
そもそも東京のようにどこもかしこも道が通じているわけではないのであった。
と、そんなことを言いたいのではなく。
お邪魔したのは八戸のお宅だった。
着いた途端、ありがたくも歓待を受け、早々に酒池肉林を堪能したのだが、
私が青森には馴染みがないと知って、酒の肴はご当地の話であった。
八戸は南部なので、北の方とは言葉も習慣も性格も違う、との話。
はてさて、南部せんべいは南部氏の土地だから南部ではなかったかと思ったが、
とりあえず話の中では、南北という意味で南部と言っていたように思う。
南北の、いや、恐らくもっと細かい、地理に疎い私では各地を挙げられないが、
下北だの津軽だの陸奥だの、そういう各地での意識の違いを感じさせられた。
東北地方と言えば、古くは何もかもが広くひとくくりにされていたわけだが、
蓋を開ければ、まさかこれほどの広大な土地に、
ひとしなみに生活が営まれていたわけはない。
ましてや山やら雪やらで分断せざるを得ない土地である。
いくつかの県に整理された現在でさえ、意識の違いが残るのは当然。
というのは、何も青森に限らず、東北に限らず、
恐らく日本各地に見られることなのだが、
東京・神奈川でしか生活をしたことのない私には、いまいち実感しにくいことであった。
土着民が少ない東京・神奈川では、
都道府県を同じくするというだけでアイデンティティを同じくすることは難しいし、
そもそも統一を図る必要も感じられない。
しかし当地・八戸では、青森という単位ではなく、もっと小さな単位で、
アイデンティティを一にしている人々がいること、
またそれがいくつも寄り集まって一つの県が、ひいては地方が成立していることを、
今更ながらひしひしと感じ、
あぁ、青森って、広いんだなぁ、と、ぽかーんと間抜けな感想を抱いたのであった。
私の家庭環境、日常生活では、そうそう生で体感できることではなかったので、
何だか面白いなぁ、と場違いかもしれないが、そんなことを考えていた休日であった。
しかし疲れた。
そして胃痛が治らない。
いや、でも、楽しかった。
夏か秋にまた行きたいなぁ。
| 固定リンク
« 健康第一 | トップページ | 海の中には母がいる »


コメント