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2009年3月29日 (日)

愛憎紙一重

春なので、パンプスが欲しい。

現在、会社に履いていっているパンプスは、ブルーグレーのスウェード。
雨にやられて色味は変わってしまったけれど、お気に入り。
とは言え、春、はまだ誤魔化せても、夏には向かない。
だからそろそろ、新しいパンプスが欲しい。

と、思っていたら、GRIから15%OFFのお知らせが届いた。
お給料も入ったことだし、と、うきうきしながらうららかな春の陽射しの下、
自転車を走らせ、一路、NINE WESTへ。

飛び込んできたのは、鮮やかな色彩のプリント地。
春どころじゃない。
夏だ、リゾートだ。

言うまでもなく、好みである。
春なんてすっ飛ばして早く夏になって欲しい。
夏にもなって欲しいが、とにかくこのパンプスが欲しい。

試し履きして、鏡に映して、自分の太い足は無視して、
ただただパンプスにうっとりする。
ややヒールは低いが、普段使いには、リゾート使いにはちょうどいい。

しかし店員のひとことで我に帰る。

「華やかでいいですよね、通勤には流石にちょっと難しいですけれども」

通勤。
そうだ、通勤。
私は会社に履いていくパンプスを買いに来たのであった。
無様な足をくるむ華やかな鮮やかなプリント地を、泣く泣く、脱ぐ。

気を取り直して、通勤用パンプスを探す。

で、きれいなブルーのバックストラップを見つける。
恐らく、先のパンプスに出会っていなければ、迷いなくお会計を頼んでいた。
デザインはシンプルだけれども、さほどに色が気に入った。
が、悲しいかな、私は既に他に惚れていたわけである。

かと言って、件の華やかなパンプスを買ってしまっては、
ただでさえ憂鬱な春が、ブルーグレーのままになってしまう。
かと言って、ブルーのバックストラップを買ってしまっては、
確実に憧れと惜しさだけが残り、足元を見るたびに哀惜に駆られてしまう。
かと言って、両方買ってしまっては、
あまりの贅沢に恐ろしくて履けたものではなくなり、
何より生活苦に陥る恐怖に駆られる、くせに変わらない生活を送り、苦しんでしまう。

悩んだ挙句、何だかもう、気分までも悪くなってきて、
楽しんで買い物を続けることがとてもじゃないができなくなり、
他の店を回ってもまさか心惹かれるものに出会えることもなく、
結局、どちらも買わずに帰ってきたのだった。

が、帰ってきたくせに、依然として後ろ髪引かれる思いで、諦めきれない。

細々としたことを片し、掃除洗濯炊事を済ませ、
PCに向かって始めたことは、懲りもせず靴探し。
双方の画像をもう一度、と思って、PCをかたかた言わせていたら、
更に恐ろしい事態に陥ってしまった。

先の鮮やかな華やかなパンプスより更に私を興奮させるものを見つけてしまった。
USサイトで。

まずい。

店頭で見なかったのは、たまたまなのか、未入荷だからなのか。
入荷予定がなかろうが、ネットで買えるなら、
これはもう、通勤とかどうでもいい、買うのである。
が、悲しいかな、国外発送を受け付けていない。
言うまでもなく、他ではヒットしない。

まずい。

あぁもう、気分が悪い。
買えないだけにいっそう欲しくなるが、買えないものをどうしようというのか。
あぁもう、気分が悪い。
頼むから楽しく買い物をさせてくれ、いや、してくれ、私。

とりあえず、再来週あたり、少し頭を冷やして再度行って、
最後に見つけた大物が入荷されていなければ、
大人しくブルーのバックストラップを買おうと、今はそう思っている。

明日にはどう思っているか知らないが。
再来週、いざお店に行ってどう苦しむかなど知りたくもないが。

あぁもう、これだから買い物は苦手だ。

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2009年3月28日 (土)

手に余る

煙草ケースが欲しい。
ケースというか、ポーチというか。

会社近くのこきたない飲み屋に忘れて以来数ヶ月、
煙草を裸で持ち歩いているのだが、実に不便である。
煙草、ライター、ミンティアないしフリスクないしキスミント。
この3点をまとめたい。

日中、何かのついでに喫煙所に寄ろうとすると、
この3点に加えて、携帯だの書類だのを携えざるを得ず、
武骨なくせに小さな私の手は、いっぱいいっぱいになってしまう。
今から一服休憩してきますよ、というのがまるわかりなのもどうかと思う。

また、酔っ払った末に、裸のままの煙草を無造作にかばんに放り込み、
翌朝かばんの中に大惨事が引き起こされているのも、いい加減見たくない。

と、思うなら買えばよいのだが、どうも気に入るものが見つからない。

往々にして、ギャルギャルしい。
もしくはやたらとごつい、それも安っぽくごつい。
いずれにせよ、いい年した女性が、というか私が持つには似つかわしくない。

あるいは必要以上に上質、つまり値の張る、いわゆるブランド品だったりする。
財布ですら度々失くしている私である。
また飲み屋に置き去りにするとも知れないものに、
5桁ないしそれに近いお金を掛けられるような上等な人間ではない。
というか、お値段以前に、これもやはり私の好みに合わない。

何もそんなに凝ったものを欲しているわけではない。
世の中にありふれている大小の化粧ポーチたちを煙草サイズにしてくれれば、
かつファスナーを短辺にもってきてくれれば、それでよいのである。

欲を言うなら、財布と定期入れと合わせて、
4℃が革製でかちっとしたボルドーのケースを作ってくれれば
大枚もはたこうというものだが、まぁないものはないので仕方がない。

買い物って、難しいなぁ。

年度切り替え、つまり異動の時期。
色々と複雑な感情が渦巻くもので、それは周囲にも、もちろん私自身にも。
春は、憂鬱。

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2009年3月22日 (日)

皮算用

引越しを考えている。

昨年、家を出たのだが、親戚の家に間借りするだけだったので、
家電・家具の類は一切買わずに済んでしまった。
そのときは、何とまぁ楽なことかと思ったが、
おかげで、いざ改めて引っ越そうとなると、一から揃えなければならない。
引越しなんてただでさえお金がかかるというのに、
何とまぁ手痛いことかと思ったが、
よくよく考えてみると、さして買わずに済む気がしている。

まずは冷蔵庫。

数ヶ月前のこと、近所に実家を持つ従兄弟が、転職に伴い実家に出戻った。
この従兄弟は、私の現在の大家ともいえる叔父のことを、
どうも廃品回収業者とでも思っているきらいがあり、
このときも慣れない軽トラで、すてきなお宝を齎してくれたのだった。
それが即ち冷蔵庫。

因みに、それまで使っていた、というか現在も併用している冷蔵庫も、
この従兄弟が就職に伴い出戻った際に持ち込んだものである。

で、私が引っ越す際には、このどちらかをもらっていけばよいので、
まぁあわよくば新しく持ち込まれた大きい方をいただきたいが、
いずれにせよ直ちに購入する必要はない。

台所周りでは、他に、電子レンジ、炊飯器。

と思ったのだが、この一年、どちらもほとんど使った覚えがない。
炊飯器に至っては、この一年、一度もお米を炊いたことがない。
断っておくが、自炊はしている。
しているが、ただ単に、白米を食べない、というだけのことである。

ポットも使っていないし、コーヒーも手ずからドリップしているし。
トースターはグリルで代用しているが、
そもそもトーストにしなくとも構わない質なので、これも必要度は低い。
まぁでも、コーヒーメーカーくらいは欲しいかな。

鍋釜、その他調理道具くらいは仕方ない。

それからテレビ。

これはやはり、社会人として、というか社会の一員として、
最低限の、しかし多岐に渡る情報を選り好みせずに受け取るために、
あった方がよいとは思う。

だがしかし、現在、我が家には都合4台のテレビがありながら、
私は朝の天気予報くらいしか見ていない。
天気予報を見るために、朝のニュースはつけているが、
出勤してすぐかあるいはお昼休みに見るmsnなりyahooなりの内容は、
それに勝るとも劣っていないように思われる。

ということで、まぁ、すぐにはなくとも困るまい。

あるいは、私が引っ越したら飲んだ帰りに押しかける、
とよく言っている数人のテレビっ子たちに、引っ越し祝いとしてねだる手もある。

さらにはベッド。

寝に帰るような生活の私にとって、これは必需品である。
畳だからと断念したが、現在の部屋に引っ越す際にもあれやこれやと考えた。
はずなのだが、今になってみると、布団で全く不自由がない。
実家に帰ったときでさえ、それまで使っていたベッドは奪われており、
カーペットに、マットレスも敷かず、直に布団を敷いて寝ている。

現在使っている布団は家から持ってきたものではなく、
この家にきて支給されたものではあるが、
そこはまぁいわゆる「おばあちゃんち」なので、布団はまだ何組かあるわけで、
持っていっても何ら支障はないだろうから、これも買う必要はない。

買うにしても、骨組みの上にそのまま布団をのせるだけのものか、
あるいはいっそ、ソファーベッドで、いいや。

しかしどうにもならないのが洗濯機。

こればかりは買うしかない。
タイミングよく誰かから引き取れるなどという天恵でもない限り、
こればかりは買うしかない。
というか、これはむしろ、新しいのを買いたいから、構わない。

掃除機もアイロンも掃除機もあるし、
おこたはないがテーブルはあるし、まぁそんなものか。
その他細々したものくらいは諦めよう。
カーテンと本棚くらいは新調したいし、これもよしとする。

と、まぁ金銭的にはさほどの無理でもないかな、と考えているのだが、
何せ私のことである、ものぐさな私のことである。
そもそも家を探すのが面倒、引越しそのものが面倒、ということになって、
ずるずると夏くらいまでは今の家に居座っている気がしてならない。

何だかんだ言ったって、お金がかかることに変わりはないし、
どうしたって面倒だし、住むところがないわけではないし、
まぁ気長に考えることにしよう。

『箸の上げ下ろし』 酒井 順子

そう、そう、そうなの、と思わず声をあげて首肯したくなったところを、引用。

大人というのは、食の好みにしても食習慣にしても、
自分なりの確固としたものを身につけています。
ですから大人同士のデートというのは、
「長年培われた食習慣同士が対峙する」という場面でもある。
(中略)
その人が三十余年もの間、
「ズズズズズー!」と音をさせてパスタをすすり続けてきたのであれば、
その音を否定するということは、
その人の人生をも否定することになりかねないのではないか、
と思ってしまうのです。
大人のデートは、かくして緊張に包まれることになるのでした。

別にデートに限ったことではないが、緊張、というかむずがゆい。
細かいことは言いたくないし、というかどうでもいいし、
私自身、さしてお上品にものを食べるわけではないが、
どうも食事の作法が気になってしまう質だと思う。

恐らくそれは、食べる飲む、ということがすきであり、
また、人と会うとなると飲食以外の選択肢を与えてあげられないからなのだが。

家族だとか、昔からの友人だとか、よほどの相手でなければ、
この年になると、人の食習慣に口を出し難い。
それがいかに私を不快にさせるものであろうと。
恐らくそれは、相手にとっても同じで、
だからこそ、恥ずかしくない程度の作法は、身に付けていたいと思う。

まぁ、それ以前に、食べるスピードを上げることが、
相手を不快にさせないという点では先決問題かとも思われるが。

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2009年3月15日 (日)

春の嵐

福岡のおじさんが来たので、親類そろってどんちゃん騒ぎをしました。
という感じかな。

ヨシヲ氏が東京に来てくれたので、みんなでつるのやで飲んだ昨晩。
どうしてか、妙に一年という歳月の経過を感じさせられた一晩であった。

卒業を控えた後輩というほど遠くない仲の後輩たちと会ったせいか、
ちょうど一年前の、本当に卒業・就職できているのかというわかりやすい不安と、
よくわからないけれどやたらこみあげてくる淋しさと、
それらを紛らすためにお金もないのに遊んでばかりいた放蕩の日々を思い出す。
そんな日々も、もう一年も前のこと。

しかしそんな一年前と変わらず、遊んでくれる友人たちが、相変わらずありがたい。
そしてなぜかやたらと私をかわいがってくれる、つるのやの人々もありがたい。

どうにか一年やってこられて、よかったな、と、
全然関係ないことをひとりしみじみ考えていた昨晩であった。
ヨシヲくんのくれためんたいこせんべいも、mameちゃんがくれたお菓子も、
T氏がくれたお酒も、つるのやのごはんも、みんなおいしかったし、
よい一日であった。

しかしやっぱり春は、よくわからない淋しさに襲われるから、苦手だ。

『都と京』 酒井 順子

どうもしっくりこない、言っていることも項ごとに矛盾しているような。
視点も平等じゃない気がしてならないし。
東京人の京都信仰、みたいなものが苦手だから嫌だっただけかな。
大学時代、勉強していた、というか考えていたことが、
いちいち動機付けに語られていたから、今更、という気がしてしまっただけかな。

そんなわけで、ふたつの都市の背景に関してはさして新たな発見もなかったが、
とは言え、京都についての豆知識のようなものは得られたし、まぁよしとする。

贈答文化の違いの項があったが、
たまたまホワイトデーというイベントがあっただけに、それなりに考えさせられた。
ふたつの都市における贈答はまぁ本を読めばいいとして、
過ぎ去りしバレンタインデー。
色々思うことはあるのだが、
会社という場でのこうしたイベントを経験してみていっそう感じたこと。

職場にもよるのだろうが、
私の職場では、強制イベントというほどの強さはない。
まぁ女性も少ないし、これが強制となっては、いかほどの負担を強いることか。
それでも私がイベントに乗ったのは、単純に相手への感謝のつもりである。

友人や恋人、家族ならいざ知らず、職場の人に対して、
日々の感謝の念を、いちいち表す機会というのはそうそうない。
たとえお世話になっていても、
もちろんその都度お礼は言葉にするし、
他愛もないお菓子やお土産のやりとりはあっても、
何もない日に突然何かをプレゼントできる間柄にはないのである。

そうなると、バレンタインデーというのは、実にありがたい日である。

何も男女を問う必要もない。
この機に乗じて、ちょっといいお菓子でもお渡ししておけば、
感情を伝えることができるし、何よりそれで私自身がすっきりできる。
借りを借りのままにしておくのは、すっきりできない。
しかもバレンタインデーの方が順番として先にくるので、
下っ端の身としては、先手を打てるので、これまた気持ちの負担が軽い。

で、ホワイトデーというのも、やはり基本は同じだと思う。
バレンタインデーにいただいたから、という口実があるのだから、
なおのこと何かをしやすい。
別に何ももらってなくとも、バレンタインデー同様の感覚で渡すこともできる。

しかしホワイトデーがバレンタインに比べて厄介なのは、
もらったからにはお返しをしなければ、という義務感が生じるところにある。
その点、男性は少し気の毒だと思う。
まぁ、著者のいう東京的贈答に則ってしまえば、
こんな義務感を覚える必要もないのだろうけれど。

まぁそう思う私としては、
こんなのは義務だといって、バレンタインデーを前にぶつくさ言う人などを見ると、
それを義務たらしめているのは、結局のところ彼女自身にほかならないと思うし、
それに気付かず文句を言うのもどうかと思ってしまう。

まぁ、恩恵を受けたらきっちり返す、
という感覚を万人がもっているわけではないだろうし、
そもそも恩恵すら感じられない場もあるだろうから、一概には言えないが、
いつの間にかそういう感覚を身に付けていた私としては、
なぜそんなに文句たらたらなのか、不思議でならない。

いっそ何もしなくたって、それならそれで、よほど潔くていいのに。

出費が手痛いというのは、確かだけれど、
まぁそんなものは、見栄を張らなければいいだけの話で。
お歳暮やらお中元やらと違って、もっと軽いイベントなんだから。

あぁでも、あの混雑の中のチョコ選びは確かにつらいな。

どちらが正しいとか間違っているとか、そういうことではなくて、
ただ、不満なんて感じなくて済むなら感じたくないから、
まぁ私のスタンスも悪くないのかな、とは思っている。

こうしてみると、東京人の端くれである私だが、
贈答に対する感覚は、どちらかという著者のいう京都人に近い私であった。

そういう項目が多かったから、しっくりこなかったのかな。

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2009年3月 8日 (日)

朝がまたくる

何となく、品があるよね。

というのが、最近言われてうれしかった一言。
いわゆる行儀のよさを問うているのではないことは、言わずもがな。
しかし行儀のよくない挙動・言動があってもなお、品がある人は品がある。

まぁ、私の場合、単に動作が緩慢なだけな気もするが。

また別の話。
先日、人からブックカバーをいただいた。

私はどうも、ブックカバーをいただく機会が多い気がする。
特に男性から。

私が男性に何かプレゼントでも、と思うときにやたら頭を悩ませると同様に、
恐らく、男性もまた、私に何かやろうと思ってくれたときに、頭を悩ませるのだろう。
一般にプレゼントを渡すことを好むとされる女性の私が悩むのだから、
男性ならば、悩みも一入、考えるのも面倒なのではなかろうか。

人に何かを贈ろうと思ったら、まぁまるっきり自分の趣味を押し付けることもあるが、
しかし往々にして、相手の趣味趣向をまず考える。
あの人はあれがすきだから、これをあげよう、こういうものがすきかな、と。

で、恐らく、私の趣味趣向は、と考えた挙句のブックカバーなのだと思う。

人から物をいただいたり、すすめられたりすると、
人が私をどう見ているかが多少なりとも窺えて面白いが、
少なくない人が同じものを下さることは、何かもう、笑える面白さである。

などと書いてしまうと、まるでブックカバーはいらないとでも言いたいかのようだが、
決してそうではなく、実際にいただいたものを重宝している身としては、
今後も私に対する認識が変わらなければよいと、思う次第であります。

一冊ごとに、違うブックカバーを巻いてやれるのは、楽しい。

『もの思う葦』 太宰 治

先日、友人との話の中で、おとこのひとはかわいい、総じてかわいい、
と言ったところ、いまいちわかってもらえなかったが、
しかしやっぱり、おとこのひとというのは、かわいいと思う。

本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である。

まったく、然り。

『なんとなくな日々』 川上 弘美

私はこんなにすてきな人では決してないけれども、
この人のエッセイにはいつも親近感と安心を覚える。
そうそう、そうなの、よくぞ言葉にしてくれました、と毎度うなずく。

そういう感動に興奮している私は、この人とは程遠いわけだが。

『しかたのない水』 井上 荒野

あまり好みではないのだけれど、どうにも止まらず、
仕事をサボタージュして、ではなく、休憩して、
つい喫茶店に入ってしまった。

『百鬼園随筆』 内田 百閒

余情がある、というのは、こういうのを言うんだろうな。
別に湿った意味ではなく。
しかし借金もここまで当然のようになされると、
もう何も文句は言うまいね。

「女の決闘」 太宰 治

事実、DAZAIの補筆が鬱陶しくて敵わない。

『おんなのるつぼ』 群 ようこ

失敗した、不愉快だ。
私はおばちゃんだから、まぁ若い人のすることにとやかく言いませんけれどね、
という前置きがありながら、とやかく言うくらいなら、いっそ前置きはいらないのに。

まとまった時間がとりにくいと、つい短編やらエッセイやらに手が伸びる。

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2009年3月 2日 (月)

竜頭蛇尾

ふたりで時間を過ごすこと、を考える。

ひとり遊びがすきだが、人と遊ぶのもすきだ。
しかし誰かと、男性でも女性でも、友人でも恋人でも、
ふたりで時間を過ごすことというのは、中々難しいとも思っている。
嫌いだというのではない、苦手、というのも当たらない。
ただ、易々と、意識せずに楽しみを得られるものでもない、私にとっては。

一対一で話をすることが、少し苦手である。
我か彼かのどちらかに結論、というほどの話をするわけではないが、
話が偏ってしまいそうな気がするし、
どうせ偏るなら、自分を取り下げたくなる弱さも顕著になる。
また、人の顔を見るのが苦手な私は、どうも逃げ場のなさを感じがちである。

と、そもそも話をする、という点においてこれなので、
どうも人とふたりで時間を過ごすのは、難しく思えてしまう。
といって、嫌いではないのだ、本当に。
親しい間柄であれば、むしろすきだと言っていい。

さて、私は先日、学生時代の先輩と、デートをしてきた。
因みに、覚えておられるかどうかは存じないが、
彼もまた以前、まだお互い学生であった時分、
人とふたりで会話することの難しさを口にしていたので、
誘われたときはうれしい反面、少しばかり驚きを覚えたのであった。

で、そのデートであるが、模範的なふたり遊びだったなと思う。

私の趣味で庭園美術館、彼の趣味でゲーセン、
更に私のわがままでプラネタリウムバー。

それぞれが行きたいところに一緒に行く。
そもそも興味があるかないかは別として、とりあえず一緒に行く。
一緒に行って、それなりに楽しむ。
それぞれを尊重しつつ、ふたり一緒に楽しむ、という過ごし方。

彼が楽しかったかどうかは量りかねるが、私はやたら楽しかった。
まぁ仮に彼が楽しんでいなかったとしても、否定的な意見は発されず、
それもまた模範的なふたり遊びではなかろうか。

さて、私はこの週末、先の先輩とは別の人と、旅行に出かけてきた。
先日果たされなかった野沢へと、ボードと温泉の旅。
と言いつつ、結局、食と酒の旅だった感も、なきにしもあらず。

で、その旅行であるが、決して模範的ではなかったが、
ある意味、理想的なふたり遊びだったなと思う。

金曜夜出発の2泊3日であったが、
その理想的な様が最も顕著な2日目・土曜日のことを記す。

朝、ひとりもぞもぞ起き出して、眠りこけている連れをそのままに、
朝食を摂りに黙って階下へ降りる私。
睡眠より朝食の私と、朝食より睡眠の連れ、というだけであって、
何ということもないのだが、しかしこの1日をよく暗示している出来事である。

さて、野沢に着いて、昼前から宿に入れてもらい、
とりあえず1本飲んで、1本吸って、しばしだらだら。
だらだらの後、さて出かけるか、といって向かったのは、
ひとりはゲレンデ、ひとりは温泉。

ふたりで来ておいて、それぞれの行きたいところへ、それぞれ単独で行く。
まぁゲレンデの麓までは連れ立って歩いたが、
それから数時間、お互い、個人行動。

湯めぐりを楽しんでいたら、夕方には電話が入って、宿に戻るというので、
そこで私も湯めぐりを終えることにして、てくてく歩いて、
道すがら、ほかほかのおやきをふたつ、お土産にして、宿に戻った。

戻ってそれぞれ、感動を伝え合うが、どうも分かち合うまでには至らない。
そもそも興味もないので、聞いていても、決してつまらないとは思わないが、
しかし、へぇ、ほぉ、それは、うん、よかったよかった、と、
何だろうな、学校でのできごとを一所懸命話すこどもを前にした親、とか、
そんな気分で、微笑ましい気分で話を聞いていた。

たらふく夕食をいただいて、お腹がくちくなって、
おふとんを敷いてしまったのもあり、またもだらだらが始まる。

さて、連れはテレビっ子、私は非・テレビっ子。
連れはテレビの前で野球中継を前に、テレビ会話。
私はおふとんにもぐって、買ったばかりの川上弘美のエッセイに耽る。

ひとつの部屋にいながら、別々のものに夢中になるふたり。

まぁ終いには、私の文庫本は部屋の隅に投げやられ、
連れ立って夜のお散歩に出かけて、
戻ってまた軽く飲んで、歓談して1日を終えたわけだが、
やはり振り返れば、何とまぁ、お互い自分勝手なふたり遊びをしたことかと。

もちろん、2泊3日のうち、万事こんな感じだったわけではないけれど、
どうもこの旅行は、先のデートと違って、
ひとり遊び×2、という感のふたり遊びであった。

模範的とは決して言えないし、そもそも一緒に行く意味を問いたくもなるが、
しかしやはり、随所にふたりでいるよさもあったわけで。
かつ、ひとり遊びも楽しめて、お互いがお互いのひとり遊びを不満に思うでもない。
気を遣って、あるいは否定的な感情を抱かせながら、ふたりでいるくらいなら、
よほどひとり遊び×2の方が疲れもなく楽しめ、
またそれを容認できるという点を考えると、
理想的なふたり遊びだったかな、と、そう思ったわけである。

だから何だということもないのだが、
どちらのケースも私にはとても楽しかったなぁと円満に締めくくる。
いや、本当、デートも旅行もよかったです。

週末のたびに、楽しみがないと、ね。

あぁしかし、宿のごはんおいしかったなぁ。
峠の釜飯も予想以上においしかったなぁ。

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