« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月30日 (火)

信用ならない

昨日は、久々に若者とお勉強をし、
やっぱり甥っ子・姪っ子が欲しいと切に思った。

血縁じゃなくてもいい、誰か私に可愛がらせてくれるこどもを早く産んでくれ。

今更だが、私は喫煙者である。
昨日は日中、仕事をしつつ、12時間の禁煙を課せられたのだったが、
やはり吸いたくなるものだなぁと改めて思った。

そういえば最近は、部署内の喫煙所には行かないものの、
仕事中も外出の度に吸っているし、
他部署の閑散とした喫煙所ではこっそり煙をくゆらしている。

某サークルの先輩方には、就職とともに煙草をやめられた方が数人おられるが、
私の場合、職場に愛煙家が多いこともあって、
やめるどころか増えているような気がしないでもない。

健康被害が気にならないでもないけれど、
何となく、いやどうにも、手放せないでいる。

さて、私の職場は極端に女性が少なく、
世間一般ではセクハラと騒がれるであろうことが、
当たり前のように、悪気もなく横行している。

被害者たる私自身、
もはや何を言われようと何をされようと、セクハラと思うこともないのだが、
しかしこれだけはセクハラだろうと思うことが一点。

例えば宴席で。
みんなが煙草片手に談笑している中、ふと私に向かってこんなことを言う。

「お前、女の子なんだから、煙草もほどほどにな」

セクハラというか、男尊女卑というか。
目の前でぷかぷか煙を吐き出しながら、一体何を言うのだろう。

と、いうことを、昨日一緒に飲んでいた人に言ったら、
もう彼女は煙草を断った身だというに、私以上の立腹振りを見せ、
一見優しげな言葉を吐くやつが、いちばん信用ならない、
と、何だかやたら納得させられる、何か裏のある言葉を吐いたのだった。

2008年もそろそろ終わりですね。
みなさん、今年も私を幸せにしてくれてどうもありがとうございました。
恒例の年越しイベントに今年も参加できないのだけが心残りですが、
どうぞ2009年もよろしくお願いいたします。

どうか私のだいじな人々に、よい年が訪れますよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月28日 (日)

おわりがみえない

年末ですね。
今日は会社のことでも。

年末進行なるものを、甘く見ていた。
といっても私は現場の人間ではないので、さほどのことではないはずなのだが、
どうしてか帰れない、クリスマスって何だっけ。

まぁでも、終わってみれば、なぜ帰れなかったのかわからない。

毎日毎日眠い眠いと思いながら、あれよあれよという間に仕事納めの26日。
仕事納め、即ち忘年会の26日。

ここ一月くらいの間にお会いした方々は、
私がいかに忘年会を忌避していたか、ご存知かと思う。
新人に演芸を課すってそれ、いつの時代だよ、と思っていたが、
周囲に聞けば、案外いまだに多いらしいですね。

事業部総勢200余名の前で、晒し者になる10名。
まぁそんなのは仕方ないかな、と早い段階である程度諦めはついていたが、
何がそんなに嫌だったかって、衣装である。
ワカメちゃんじゃあるまいし、何だこのミニ。

と言っても踊る前から飲んでいたし、もはや自身ではどうでもよくなっていたのだが、
やはり恥を知らない中年たちからの指摘は面倒であった。
何も私は、セクハラだとかそういう文句を言いたいのではない。
ただただ面倒であった、という話。
恐らく年明けもしばらくは言われ続けるのだろう、あぁ。

演芸のため、会の半分以上は裏に控えており、飲食には満足しないまま、
しかし一仕事終えた満足は得て、一次会はお開きとなる。

が、問題はここからである。

さて、私には部内で主に酒席を縁として仲良くさせていただいている先輩が3人いる。
内、T氏は忘年会自体をサボタージュ、早々15時くらいには帰途に。
そのくせ生足ミニスカの写メだけは方々に頼んでいた迷惑な御仁である。
続くO氏は同じ課の3年目。
残るN氏は隣の課の2年目。
4人でだらだら気楽に適当にひどく飲めるくらいの仲かと私は思う。

二次会は部で催されたのだが、なぜかカラオケ。
いや、なぜかも何も、そもそもは飲み屋を予約していたのに、
直前にオーバーブッキングで断られ、この時期他の店も確保できず、
仕方なしにカラオケとなったわけである。
一連の予約騒動の間に幹事・O氏の纏っていた悲壮感といったらない。

なお、事前にO氏から、
老若まとめて一室で、紅一点で、すきな曲も入れられなくて、
飲食も会話も満足にできやしなくて、絶対お前大変だよな、と謝られたが、
紅一点、というのを除けば、そっくりそのまま彼の本音だったことは言うまでもない。

カラオケをこれほど面倒に思うにはそれなりの訳がある。

隣の課のS課長は、いわゆるいけめんで、気さくで、とてもすてきな方である。
カラオケとなるといっそうすてきで、彼はミスチルがすきなのだが、
これがまた本当に上手で、もう、めろめろ。
というのは最初の2時間。
夜通しS課長コンサートに付き合うのはそれなりに疲れるもので、
私は初参加を終えた朝、サラリーマンとは何たるかを、実感したのであった。

なお、早々に逃げたT氏はこれを、
S氏ミスチルうまいよきゃーすてきコンサート、と呼んでいる。
長い。

まぁ今回はS課長単独ライブにはならないにしても、
どうも上司やら先輩やらとカラオケ、となると、行く前から疲労を覚えるのであり、
それはO氏もN氏も同様なのであった。
移動前、一次会会場の喫煙所で、
O氏、N氏、そして隣の課の同期で徹夜明けのT村くん、私の4人で、
無言のままにため息とともに煙を吐き出す。

で、実際、それなりに楽しかったがしかし、かなり面倒な会となった。
紅一点、の苦労をこの日ほど感じた日もなかった。

若い女性なんだから、と部長の隣に座らされ、
若ぶった曲が入れば意味もなく名前を叫ばれマイクが回され、
女性ボーカルの曲が入れば意味もなく名前を叫ばれマイクが回され、
古めの曲が入れば知ってるのかと問われた挙句マイクが回され、
常日頃絡んでくれる方々からは、席を立って部屋を出ても絡まれ、
何度席を立っても親切にも部長の隣に戻され、
O氏は毎度入れる内輪では定番の曲を誰も知らないと言われて切られ、
N氏は十八番の和田アキコを3回も歌わされ、
隣の課がやたら体育会系なこともあってか、やたら騒がしく混沌とした会であった。

なお、結局私が自ら入れられた曲は1曲で、
それは津軽海峡・冬景色だったが、1番を歌ったところで、切られた。

そんなこんなで、当然不完全燃焼のまま、二次会を終える。
23時半くらいだったろうか。
仕事納めだし、どうせ電車は混んでるし、タクシーはつかまらないし、
いくつかの集団に別れて歩き始めるも、誰も帰ろうとしない。
が、何としても徹夜明けのT村くんを帰してやりたい、
どうにか中年たちとおさらばしたい、というのは私だけでなく、
O氏、N氏共通の念であったらしい。
O氏が何やらうまいことを言って、若手4人で他からはぐれることに成功。
見事、T村くんを帰らすことに成功。

一息ついて、さて、どうしよっか、と誰ともなく言い出したそのとき。
N氏の携帯が鳴る。
ミスチルだいすきカラオケだいすきS課長、他の部署の三次会に合流したS課長、
彼からの、お前らもさっさと来い、という指令であった。

しばし呆然とするが、行かないわけにもいくまい。
というか、そもそもは3人ともカラオケがすきだからまた拒否するに至らない。
とは言え急ぎ駆けつけるのも癪だろう、と、ラーメンを食べることに。

私は麺類を食べるのが遅い。
何というか、こう、啜るのが下手であり、かつ猫舌である。
もう随分と前に、サークルの同期数人とラーメン屋に行き、
ひとり取り残されたのはいまだにトラウマである。
というのを、O氏もN氏も、以前一緒にそば屋に行ったこともあって、よく知っている。
ふたりして早々に食べ終わり、私を挟んで呆れた顔で文句を垂れる。
しかしO氏は言った。
「何かもう、いっそお前がこのまま食べ終わらなかったら、行かなくて済むのにな」

私もどうにか食べ終わり、池袋の747へ、
N氏はセブンフォーセブンだと言い張り、私はななよんななだと言い張り、
O氏はどっちでもいいよと戦線を離脱し、ふたりでぎゃぁぎゃぁ言いながら向かう。
因みにさっきgoogle先生にお伺いを立てたところ、私の負けであった。

ふと携帯を見たら光っていて、早々に帰ったT氏から労いのメールが入っていた。
少しばかりメールの送受信を繰り返すが、だんだんと腹が立ってくる。
これだから酔っ払いはよくない。
腹立ちに任せて、とうとうT氏に電話をかける。
もう、私、結構頑張ったと思うんですけど、Tさんずるいですよ、とか難癖をつけると、
当のT氏はそういう私が非常に面白いらしく、げらげら笑っていた。
ちょっと悔しくなるが、同時になぜ私は怒っているのかと自分を恥じる。
で、案の定、翌朝自分の行動に沈むのであるがそれは数時間後のお話。

T氏との電話を切って、2人にやや遅れて部屋に入る。
ここもやはり、騒がしく混沌とした部屋であった。
しかしここには同期が3人おり、まぁひとりは寝ていたが、とにかく安心する。
O氏は「これは一体どんな流れなんだろう」と言うが、
懲りもせず先ほど切られたお気に入りの曲を入れる。
今度は切られることもなく、彼も私も、おそらくN氏も多少の安堵を覚えたのだった。

まぁそれなりに騒いで、かと言ってやはり歌えるでもなく、
仕方ないのでひとりでだらだら熱燗飲み続けて、色んな人と乾杯をし、
N氏にまたお前そんなに熱燗なんてよく飲めるなと呆れられ、
O氏はいつの間にか自由型で面白い寝相を披露しており、
それを見たN氏は、お前水飲ましてやれよ、と言って、
拒否する私の手を無理矢理とって、その口にペットボトルの水を垂らすと、
よく寝ていたはずのO氏はむくりと起き上がり、
隣にいた人からお前よく寝てたなと笑われたのに対して、
いや俺はそんなことより今俺に水を垂らしたやつに本気で怒りを覚えてるんです、
などと返すものだから、私は怯えて縮こまって、朝まで過ごしたのだった。

朝。
ほたるのひかりが流れ始めると、ひとり6500円ずつ徴収される。
我が部の場合、こうした会は課の積立金で全てが賄われるというシステムのため、
まさか徴収されると思ってなかったらしいN氏は、
このときから少なくとも1時間は文句を言っていた。
まぁわからないでもないが、そう虫のよい話もないものである。

さて、三次会を終えてもいまいち不完全燃焼の感。
すっきりした顔で帰っていくS課長以下先輩方に年末の挨拶をし、
またしてもラーメン、と言い出すO氏とN氏。
N氏の同期・M岡氏、私の同期・I倉も連れて、2度目のラーメン屋へ。
O氏、I倉、私の3人はここまで来て朝からビールを飲む。
朝まで飲んだその後に、ファミレスでビールを飲むwakをふと思い出す。

またしても私のラーメンを食べる遅さにケチをつけつつ、
何か、まぁ、長い夜だったよなぁ、楽しかったけど、などと言い合いながら、
帰るの面倒だねぇ、と何となくだらだらする。

私は飲んだ後のこういうぐだぐだな感じが、割とすきである。
いわゆる学生気分、の延長なのだと思うが、
こういう気分はもう少しの間、捨てたくないな、と何となく思う。
そしてO氏もN氏も、こういうぐだぐだが嫌いじゃないことを、私は知っている。
I倉も、こういうぐだぐだがすきだということを、私は知っている。
そういう人々と出会えたことや、それを知る機会を持てたことだけとっても、
今年もいい年だったかな、と思えた仕事納めの長い長い1日だった。

などとしみじみ思ったその後、
JRで寝ぼけて長年染み付いた習性からか、新宿でいったん電車を降りてしまい、
あぁ違うと思って再度乗ったはいいが、今度は京急で網棚に荷物を置き忘れ、
かつ一晩のうちに2度も食べたラーメンに胃を痛め、
ひどい空気の中で煙草を吸い続けたつけに喉を痛め、
ろくな睡眠も取れずに柄にもなく数日頑張ってしまったつけに熱を出し、
鍋パーリーの約束も守れず寝込んだ27日であった、ごめんなさい。

今年もあと数日、真っ当に生きて新年を迎えたいと思います。
とりあえず職場のみなさま、誰もここを読むことはありませんが、
今年はどうもお世話になりました、合掌。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 7日 (日)

くらくら

金曜のこと。

めまぐるしいな、と思っていたら、眩暈を起こした。
どうにもしようがなかったので、急遽、半休をとって点滴。
勤務時間たったの7時間半、バイトかよ、という時間で早々に退いた。

そしてもちろん、土曜日曜出勤せず。

こうなると明日行くのが恐ろしい。
たとえその場は凌げても、後々つけが回ってくるのがわかっているから、
年休はまだたんまりと残っている。

さっさとうまく休めるような要領を身に付けたい。

土曜のこと。

兄の結婚相手が、はるばる仙台から、わざわざ神奈川の田舎まで来て下さった。
どうしようもない兄が、両親に真面目に挨拶をしているのを見て、
なぜか私が涙ぐむ。

なぜ私が。

もうすぐ暮れていく2008年だけれども、
いちばんうれしかったことは、この結婚話であろう。
この件は、考えるだけで、なぜか私がのろけ、かつ無性に泣きたくなる。

なぜ私が。

しかし横浜はきれいだった。
しかし中華街は魅惑的だった。
空飛ぶじゅうたんみたいなストールを買ってしまったが、
用途を同じくするものを一体いくつ持っていることやら。

日曜のこと。

女3人で映画を観て泣いた。
ひどく泣いた。

「私が心配しちゃいけないっていうの」という台詞が、残る。

ラスト、家族を想って嘘をつくだとか、そうでなくとも温かな言葉を遺すとか、
そういう締め方もあっただろうけれども、
そういうきれいごとにされてたら、私はどうせ泣くんだろうけれども、
しかしやっぱり興醒めで。

結局、最期に語ったのも、綴ったのも、自分のことだったというのは、
生々しくて、嫌いじゃない。

しかし新宿は都会だった。
買い物をする男女のうち、男性の方が心なしか浮かない顔をしていたのは、
クリスマスという口実に、出費が高くつきでもしたのだろうか。

あぁ、泣き通しだったせいで目がしぱしぱする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »